叱ってくれる人のありがたみ
期末でやらかしましたよ・・・。ついさっきね、レポートの提出が締め切りに間に合わなかったんです。メールに添付して送信するものだったんですが、ファイルの種類などで引っかかっちゃって。2分オーバーです。ちなみに一日遅れるごとに二点減点・・・。二分で二点・・・悔しい!やる気が出ずに、レポートに取りかかるのを渋っていたからこうなったんですよね。本当に駄目だな。
ここで、叱ってくれる人のありがたみを感じます。一人暮らしになるとだらだらしている自分を叱る親はいません。それから、大学生になるとわざわざ自分の怠惰について叱ってくれる先生はそうはいません(少なくともうちの大学では)。それをいいことに、楽な方へ流れていった末路がこれです。
課題が間に合わなかったことはこれが初めてというわけではないですが(おいコラ私)、かなりショックを受けています・・・自業自得です。自立するには、自分を叱る人がいなくとも自分を律していくことが必要なんですね。肝に銘じておきます。
少しの後悔
今ね、ちょっとだけ後悔しているんです。「何してんだよ、私」って。
「なぜ一人暮らしにこだわったのか」
祖母の家に下宿って選択肢もあったんです。
でもね、行動が制限されそうでつらいってことで、一人暮らしをさせてもらっています。表向きの理由は、おばあちゃんになんでもやってもらって、自分じゃ何もしなくなるから。理由に裏表なんて、ひどい奴!
話は変わって、現在三連休なので祖母の家にお邪魔しているのですが・・・・・・。
やっぱり下宿するべきだったのかなって思えてきちゃって。
そしたら家具や家電にお金はかからなかったし、父がこちらに様子を見に来るときも、わざわざ私の家と祖母の家両方に行くこともなかったし。祖母の力仕事だって手伝えただろうし、中学の友達とも頻繁に会えたかもしれないのに。
後悔の念がつらつら・・・・・・きりがありませんね笑
まあ、もし下宿していたとしても、どうして一人暮らしを選ばなかったんだろうって後悔してたかもしれないんですけどね。
「どちらを選んでも、いつかは後悔するときが来るんだ」って、何かの話で聞いたことがあります。だから、後悔は少しだけにして。
祖母はまだ元気で社交的なので、忙しそうにしています。
私が生活に入ってしまったら、大変だったんじゃないかなってことにします。
何かあったらすぐに駆けつけようってことで!
とにかく今は、与えてもらった環境に感謝して、強く生きるのみですね。
外側へ
ずっと虚無感に襲われていた理由。
多分だけれど、しばらくの間自分の殻に閉じこもって、世界を広げようとしてこなかったから。
今まで生きてきて(といってもたった18年だけれど)、中学生の頃が一番楽しかったなっていつも思うのだけれど、よくよく考えてみればあの頃は、新しいものとの出会いが多かったのかな、と。
音楽とかイラストとか、ゲームでも小説でも友達でも何でも、いろんな初めましてに出会っていたのかなって。
大学生になって、新しい友達も増えて、少し知識も増えてきたけれど。
自分が好きなものばかり見て聴いているから、あのころに比べたら成長速度が落ちるのも当たり前なんだ。
それから「変わりたくない」っていって縮こまっているんだから、なおさら。
そろそろ外の世界に出なきゃ。
私はずっとこのまま、小さな世界で一生を終えてしまう。
・・・・・・なんて、ポエマーっぽいかな笑
引きこもりじゃないっす!ちゃんと大学行っています(^ ^;)
まあ、なんだ。
自分の好きなものはずっと守りながら、新しいものに触れていきたいなって話です。
というわけで、まずは手始めに妹が好きなバンドの曲を聴いています。
良いものですね、音楽だったら聴いている人の中身もなんとなく分かる感じがする。
今度友達にも、好きな曲を聞いてみよう。
凹む時だってありますよね。
これは私の性格だから仕方ない。
自分のしたことが良いことだったのか、自分の言ったことがあの子を少しでも傷つけはしなかったか、とても悩むことがある。そうしてずるずる、1時間も2時間も悩み続けて、ついには関係のない過去のことまで引っ張り出して、またずるずる。結局こんな時間になって、のろのろとシャワーを浴びて、頭をごちゃごちゃさせたまま、寝床につくのだ。
いや、今日は実に楽しい一日でした。大学でできた友達と、初めて買い物に行ったんですもの。同じところをぐるぐるしたり、お互いの好きなものを知ったり。今までこういった経験があまりなかったものだから。
だからかもしれない。楽しいことの後は、余計なことを考え出してしまう。嫌だなあ、折角の楽しかった一日が、私の勝手な憂鬱のせいで悲しい一日になってしまう。
考えすぎ。私が自分を好きになれない理由のひとつだ。